北見の歴史とあゆんだ、岡村建設
はじめは、大工として北見の地に入地した岡村建設の創始者・岡村達馬から。
達馬が北見の開拓に深くかかわったことから、岡村建設はそのあゆみをはじめました。
創始者
岡村達馬
■ 岡村達馬のおいたち
当社の創始者である岡村達馬は、高知県下半山村姫野々(現高知県津野町姫野々)で宮大工、岡村常弥の長男として生まれました。
早くから大工の手ほどきを受けていた岡村達馬は、北光社の開祖、坂本直寛がキリスト教の布教と北光社移民団の先発要員募集のため各地を回っている時に、須崎で運命的な出会いを迎えることとなりました。その時、達馬は20歳でした。
坂本直寛との
出会い
■ 坂本直寛の北光社に対する思い
このように全く別天地に居るように思われ、とても日本ではない他の国の楽園といえます。
そしてここに楽天的な村を建設して、天を仰いでは土地を耕すことができ、そこには政治の圧力もなく、なんら束縛もない、迷信も罪悪もない、馬鹿げた義理や習慣風俗もなく、有るものは一人一人に田畑あり、家もあって幸福自由あり、人情もあって一つの理想的な社会をつくり出すことができる。
実に人生にとってこれ以上うれしいことはないのではないか。 どうか働きたい人は、奮って北光社の旗印を信じて募集に応じてきてほしい。
※土陽新聞(明治29年9月3日付)移民団募集広告より
岡村達馬と
北光社 先発隊
■ 北光社 先発隊、北海道上陸
直寛は達馬に、前述の北光社の理想を説き、この未踏の原野に棟梁として活躍できることを説明し、ぜひ先発要員に加わるよう熱心にすすめました。
この話を聞いた達馬は、とてつもない魅力を感じ、その場で応諾の返事をしました。
先発隊は大谷清虎が引率し岡村達馬ら12名で、厚岸港に上陸し、標茶、網走を経由して1896(明治29)年9月10日クンネップ原野に入りました。
先発隊の作業は、北光社本部建造物と移住民の仮小屋、道路開削と架橋などです。
移民小屋の建設
■ 厳しい気候の中での工事
本部建造物の事務所(45坪)、厩(50坪)と、移住民が到着したときに臨時に宿泊する60坪の草小屋建造物を、岡村達馬が大工の責任者となって建築しました。
また、6坪の移民小屋がこの年に100棟、翌年5月までに30棟が北光社農場全域に分散して建てられました。
これらの建造物は、付近の雑木と雑草を使った草葺草囲いで、入口には筵を下げ、内部は土間と居間で、その居間には6尺程の丸太を縦割りにした割木を並べて床として、その上に筵を敷いた掘立小屋でした。
10月も中旬となれば降霜もあり、南国土佐の真冬並の気候の下で、5月の移民団到着に合わせての突貫工事となりました。
岡村組の誕生と
岡村建設株式会社
■ 達馬の次の世代へ
その後、達馬の後を継いだのが次男である岡村金吾(岡村建設 初代社長)ですが、二人の兄弟が酪農か大工の道を選ぶことになった時、金吾が「盆、正月に休めるから」との理由で大工の道を、兄・政義が酪農の道を歩むことになりました。
時代の変遷とともに、1935(昭和10)年に岡村組として請負業者事務所を設置し、1949(昭和24)年になって建設業の登録、1956(昭和31)年に岡村建設株式会社に組織改革し、数多くの公共建築、住宅建築を手がけ、現在に至ります。